この日が来ると思い出す
月日が経つのは早いもので、東日本大震災から 14年が経った。
この日と翌日のことは今でも忘れられない。
それは、筆者がフィリピンへ行った日が 14年前のこの日の翌日で、何とか渡比することが出来た貴重な体験をしたからである。
1週間の日程で日本人が運営する某会員施設を体験泊する予定で、その出発日が東日本大震災の翌日の 12日。
9時半発のJALマニラ行きに搭乗するため、既に大きな荷物は成田空港に送り済み。
12日に持って行く手荷物の最終チェックをしていた午後2時 46分に、あの大きな地震が起きた。
我が家があるエリアは震度4、我が家の被害は玄関の下駄箱の上に置いていた花瓶が下に落ち壊れただけだったので安心していた。
テレビ等で状況を確認していくと、電車はストップ、高速道路は閉鎖、飛行機も定期運航するかどうか不明との情報が入って来た。
時間が経つにつれ、状況は悪化するばかり。
連絡を取ろうにも電話が混んでいて、体験泊する施設オーナーとも同行者とも連絡が取れない最悪の事態。
ネットで明日のフライト状況を調べると、キャンセルとはなっておらず、フライト時間大幅遅れで飛ぶ予定になっていた。
夜になってやっと体験泊する施設オーナーと同行者と連絡が取れた。
その結果、マニラ便は飛ぶとのことなので、一応翌朝成田空港へ行くこととなった。
問題はどうやって空港まで行くかだが、朝早く駅前に行けばタクシーの1台ぐらいはいるだろうと気楽に考え、その夜は眠りについた。
翌 12日朝、まだ暗いうちに我が家を出て駅に向かって歩いていると、後になって思うと本当に運が良かったとしか言いようがないが、後方から走って来た空車タクシーが交差点の赤信号で止まった。
直ぐに駆け寄り、運転手さんに空港まで行ってくれないかお願いしたところ、途中通行止めの所があり何ヶ所か迂回することになるが、それでも良ければ行くとのこと。
ラッキーだったのは、この運転手さん、昨日客を成田まで送って行ったので迂回路を知っていたことだった。
こうして何とか空港へたどり着け、同行者とも無事合流でき、2時間半遅れで出発したJAL741便で何とかフィリピンへ行けたことを、今でも鮮明に覚えている。
2度と体験したくない出来事だったが。
これがその後のフィリピンのきっかけでもあったことを今でも思い出す。
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